徳永まさひろ 論考・論策

日本民族音楽協会の再生に向けて~桝源次郎の業績と今後の活動

日本民族音楽協会理事
徳永雅博

昭和41年にスタートした社団法人民族音楽協会が再興することになった。政府による一連の公益法人改革の中で、協会を維持していくには並大抵の決意では難しいと思われたが、昨今の文化的な社会環境の低下や、子供達を犠牲にした悲惨な事件を憂う人々が新たに声を上げて頂き、再興することになった。一番喜んでいらっしゃるのは、誰よりも日本の伝統的音楽文化の振興を望んでいた協会の創始者、民族音楽研究者・故桝源次郎先生と思う。
私自身は民族音楽の研究者でもなければ演奏者でもない。現在は一地方政治家である。しかしライフワークとして、日本政治と文化振興事業との関係について、その意義と重要性を長年考えてきた過程で、桝源次郎先生と民族音楽との出会いがあった。1991年桝先生が米寿の時、お亡くなりになる4年前、日本民族音楽協会の歴史と今後についてのお話を聞くために、初めて日野市にある平屋のご自宅を訪問した。桝先生は、居間の一室で、所狭しに資料の山に囲まれながら、新聞の折り込み広告の裏に書かれたご自身の文章をお読みになっていた。「こんにちは」と声をかけると同時に最初に帰ってき言葉が、語気の強い「協会をよろしく頼む」であった。すでにお電話でお尋ねする要件をお話していたので、ある程度予想できたが、ご高齢で時折内容が判らないほど小さな声でお話になる桝先生の言葉としては、その言葉に一番迫力があった。
一時間ほどの会話の中で、印象に残ったのが二つ、戦前からの民族音楽研究の中で、台湾の高砂族の研究に及んだ時に自らの研究成果を出版できなかった無念さを語ったことと、ご自身の研究成果の集大成として、「日本民族音楽博物館」を建設することが夢であると語ったことだった。特に博物館の建設については、戦前・戦中・戦後の政治的思惑を超越した純粋な民族音楽を通しての研究の意義を、後世に伝えたいとの思いが切々と伝わり感極まるものがあった。
そこで、桝先生の民族音楽の研究の意義を、数多くある論文の中でも、昭和43年11月に書かれた博物館の設置草案のなかにわかりやすく書かれているので、少し長くなるがここで引用して述べてみたい。
まず冒頭に、1953年に世界59カ国が加盟の国際民族音楽会議の宣言を引用している。「民族音楽文化は、人々の心に愛郷心と彼等の文化遺産への自覚と健全な伝統に対する、尊敬の息吹を吹き込む最良の機会を提供することを信じ、本会議は、国際的賛同を得て、ここに世界の人々に、民族音楽文化の共通の関心を通して、友情と国家民族間の理解を促進する目的をもって、公私を問わず、一般教養並びに教育のあらゆる段階において、特にその属する国々において、伝統的民族音楽文化の導入を促進し実行することを提案勧告する。打ち続いた戦禍により混乱した世界を、非妥協的イデオロギーの対立により分裂した世界を、また全体主義的苦悩と潤いなき唯物主義とにより、弱体化した世界を再建する過程において、民族音楽文化が偉大な役割を演じることを確信する」。この宣言は、21世紀になって、いまだ収まらない国際紛争と不安定な国際関係を見ても、まったくもって的を射た宣言である。
桝先生は、この宣言を引用した後、「日本においてもこの世界運動に応え、去る昭和31年敗戦日本の独立を契機に、明治維新以来百年の日本の学校音楽における、伝統日本音楽を忘れた洋楽一辺倒の教育に反省が加えられ、新たに伝統日本音楽と世界の民族音楽が学習指導内容に盛込まれた」ことを大変喜ばれ、「戦後日本人は、徹底した自己中心主義に陥り、権利思想と経済決定論の思想に流れ、伝統、秩序の破壊、不正、虚偽、汚職の悪徳が平常心で行われ、わけても青少年の非行の激増には、『教育とは何か』疑問を抱かせるほどである」との日本人の精神的荒廃を憂い、ついては「世界の良識は、敗戦日本の驚くべき復興と産業の飛躍的発展は、魂を失った悲劇的繁栄であり、日本、日本人は失いつつある人間性の開発と、より均衡のとれた社会への発展に欠くことのできない情操を養う大事を忘れた粗雑さ反省すべきと教えている」と今日の日本を見通したように指摘している。
そして結論として、「音楽文化の長年の調査研究の成果を結集し、人間精神と身体と性格と民族の興亡に直接つながる音楽文化の全貌を、すでに失いつつあるこれらの資料を収集展開し、楽しい鑑賞のうちに、文化創造の意欲と伝統文化財に対する自覚と尊敬の息吹を吹き込むと共に、人々の美的感性と感情を喚起し、豊かな情操と人間性を開発する自力情操教育の場として」博物館の設置の趣旨を述べている。桝先生の研究目的は、まさしく民族音楽を通しての豊かな人間性を醸成し、人間が作った世界が常に平和であることを目指すことである。戦時中に軍の特務班としてアジア各国の民族音楽の研究をしたことも、そのことにより戦後アカデミックな世界から少なからず遠ざけられたこともあったが、桝先生が民族音楽を研究した本質は、民族間の平和に寄与することにあると考えられる。
この考え方こそ、日本民族音楽協会が目指すべき方向性である。協会の設立の趣旨に、「日本音楽文化の性格を求めて、隣接アジア諸民族をはじめ、東西民族音楽の調査研究に微力を注ぎ、世界の民族音楽舞踊の振興と交流を通して、全世界人の相互理解を深め、世界の繁栄と平和に寄与する」とあるように、21世紀に入ってもなお国際協調体制が確立できない不安定な国際環境のなかで、日本民族音楽協会が再興することは何よりもうれしいことであり意義のあることである。

 1995年、桝先生がお亡くなりになり、しばらくしてから私に一本の電話が入った。奥様からであった。自宅にある桝先生が研究しかつ収集した膨大な資料を寄付したいとのお申し出であった。私はトラックを運転してご自宅に向かい梱包して大切にお預かりした。その貴重な資料はまだ整理がついていない。協会の再興にともない、今回機関誌が復刻するにあたり随時整理していきたいと考えている。
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