2020.09.14
ブログ

自民党総裁選と立憲民主党


安倍総理が病気を理由に総理を辞任して、今日自民党新総裁が誕生した。安倍内閣の官房長官であった菅義偉衆議院議員である。本来、安倍政権の女房役である官房長官の立場は、主人の辞任と共に官邸を去るのが常套手段であるが、7年8か月の権力の旨味を一手に引き受けていた女房役は、決して手放すことはなかった。狡猾な手腕と言っていいと思う。無派閥の自民党総裁の誕生は、極めて異例の状況である。それだけ自民党内での霞が関の利権構造にうまく貸しを作ったとしか思えないような言動であった。ある意味で政治家の権力闘争に勝ったのだから、あっぱれとも言えるかもしれない。しかし問題は、安倍政権の継続を主張する菅総裁は、7年8か月の森加計から始まる多くの安倍内閣の負の遺産を一蹴するためのワンポイントリリーフでしかないことだ。本来岸田総理誕生のシナリオを描いてきた自民党は、過去の負の精算を菅さんに頼んだとしか思えない各派閥の動きが見えていた。そこに二階幹事長が狡猾に絡んでいることがまた面白い。私が新進党の衆議院議員の秘書時代、二階議員は、俺は秘書上がりだから君たちの気持ちがよく分かると言って、よく秘書に対してもリップサービスをしていた。当時から機転が誰よりも効いていた。それから自自公連立で運輸大臣になるまで、見事な立ち回りであった。そして元々運輸族で観光業界への利権を手中に収めていった。そして自民党に復活して幹事長まで上り詰め、権力を手中に収めたことは、これもまたあっぱれと言っていい。二階幹事長と菅総理は共通点がある。それは二人とも運輸族の出身であることである。だから今回の「GOTOキャンぺーン」に腐心しているのである。問題はこうした権力闘争が、全くと言っていいほど国民の側を向いていないことである。言葉では巧みに言っているが、全く持って国民に寄り添う気持ちが見えてこない。表向きのリップサービスだけは上手くやっているが、そろそろ限界が来ているのではないだろうか。どうやら菅総理誕生で支持率が高いうちに総選挙をやりたいようだが、こんなに国民がコロナ架で大変な思いをしている時に、どうして選挙なんかできるだろうか。国民を馬鹿にするのもほどほどにしてほしいと思う。一方野党もだらしない。今回の立憲民主党と国民民主党の合流でも、一枚岩になれなかった。誰とは言えないが個々人のスタンドプレーだけが目立ち、正しい国家権力の誕生を本気で願っているようには思えなかった。しかしながら私自身は合流新党に参加した。なぜなら不甲斐ないとはいえ、国民が安心して暮らせる新しい権力の誕生を叶えられるのは、野党の結集と野党第1党として、今のうちに政策実現能力をしっかり磨くしかないからである。そのことが霞が関に対する睨みであり、自公政権への正義の圧力であるからである。いずれにしても、無駄な権力闘争に明け暮れるのではなく、一日も早く国民の生活を第一に考える政治が展開されるべきである。