東日本大震災から2年
東日本大震災から2年がたった。昨日からテレビ・新聞報道で沢山の特集が組まれていました。
どの報道にも共通して主張されていることは、なぜ復興がこんなに遅れているのかという問いかけでした。
私自身も、石巻市渡波に3回にわたり伺ってきましたが、その都度海岸付近の復興の遅れを肌で感じてきました。
復興の遅れの原因には、当初がれき処理の遅延や土木測量の難しさが挙げられていましたが、やはり多くは、地元の皆さんのコンセンサスの難しさや、まちづくりを担当する職員の少なさなど、マンパワーの結合をどう築いていくかという、ことが指摘されていました。
しかし、その中でも霞が関と永田町と被災地との連携が、なかなか捗らないことも大きな問題であることも指摘されています。
日本の行政の指示系統の煩雑さ、被災地に与えられている独自権限の少なさ、大惨事における危機管理の体制の未熟さなど、日本にはもともと自主的な判断を求めらる重大なケーススタデイが、まだまだ足りないことも言われています。
私の知人も、被災地のがれき処理のためのプロジェクトを立ち上げ、地元行政には大きな後押しをいただいても、霞が関の許可がなかなか下りず、事業が進まないことにいらだちを見せています。
今回の東日本大震災は、日本人に多くの警鐘と選択を迫っています。
これまでの防災対策、エネルギー戦略、まちづくり戦略を根本から検討する必要に迫られています。
しかし、2年の歳月が経ってもなおその方向性が見えません。
仮設住宅の期限が延長になりましたが、そのことよりも住居、産業、教育と人が生活するための環境の整備目標が見えない限り、あらゆる決断が難しいのだろうと推測されます。
私自身が何ができるかという自問に常に駆られながら、これからも少しでも力になれればと改めて感じた今日の日でした。