2022.04.25
ブログ

ウクライナ危機から見える世界の安全保障


ロシアによるウクライナへの侵攻開始から2か月が経った。世界秩序を大きく転換させる今回のロシアの暴挙が、各国の安全保障にどのように影響するのか一刻の猶予もなく議論すべき時が来ていると思う。特に日本の安全保障を考える上でも、対岸の火事ではなく、台湾有事や朝鮮半島有事が勃発する可能性が一挙に高まった今、政治家に任せるだけでなく、国民を巻き込んでの本格的な議論が必要である。平和憲法を有し専守防衛を国是とする安全保障体制から、日米同盟を基軸とした東アジアの安全保障は、新たな戦略を考える必要があるのではないかと思う。しかし最近俄かに議論が浮上したGDP2パーセントの防衛費の増額や、「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」に名称変更を自民党の安全保障調査会が提言するなど、いままできな臭い話題であった安全保障上の様々な課題が、普通にニュースに出てくる状況は、やはり慎重に議論する必要がある。今回の最大の問題は、昨年12月以降アメリカは、ロシアがウクライナとの国境に部隊を集結させ、侵略の懸念が高まっていたにも拘わらず、国際社会と連携して外交的に今の戦争状況を防げなかった点にあると思う。すでにロシアは、通常兵器による攻撃への報復でも、核使用をいとわない戦略を明らかにしており、アメリカもNATO加盟国も外交力による問題解決の糸口を探しあぐねている。そこで重要なことは、ヒューマニズムを追求した徹底した倫理観をどのように世界各国が理解できるようになるかである。生命の存在をこんなにも軽視して残虐な行為に出ているプーチン体制のロシアを、一日も早く転換させるには、崇高な倫理観を持った国際秩序を確立する必要があるが、そこに期待ができるのは、やはり民衆の声であり力である。専制主義が横行する社会を見逃すことなく、民主主義の危機を今こそ乗り越えるために民衆の声を即刻上げるべきである。またその後押しをするのが、真のジャーナリズムではないだろうか。権力に阿るジャーナリズムからの脱却も急ぐべきである。