2022.05.16
ブログ

沖縄復帰50年を考える


沖縄県が日本に復帰して50年目を迎えた。太平洋末期の沖縄戦で甚大な被害を受けた沖縄は、27年間の米国統治の中で、戦争に負けた悲劇を身をもって感じ、復帰後の半世紀も、全国の米軍専用施設の7割が基地として占用していることに、教育的にも経済的にも文化的にも米国の影響下による鬱屈した社会状況を生み出してきたと言っても過言ではないのかと思う。復帰後の沖縄県は、社会基盤の整備が進み国内有数の観光地となったが、自立した経済構造を構築して、県民所得向上や貧困の解消には至ってないとも言われる。一人当たりの県民所得は全国最下位が続き、「子どもの貧困率」が全国平均の2倍に上っているなど本土との格差が指摘されている。残念なことは、基地負担の軽減や沖縄の経済振興策が期待されているにもかかわらず、ここ10年近く、政府と県が基地問題や振興策を話し合う「沖縄政策協議会」が開かれてないことである。ロシアによるウクライナ危機が、大きく国際社会の安全保障のあり方を問いかけている時、極東アジアの安全保障上最も重要な位置を占めている沖縄の地政学的な存在価値を改めて日本政府は認識し、沖縄県の米軍基地負担問題と正面から解決策を見出して、併せて沖縄の経済復興と文化と観光の繁栄、そして世界に活躍できる優秀な人材の育成に早急に取り組むべきである。例えば、現在沖縄で世界から注目を浴びている、沖縄科学技術大学院大学のような、高度な研究と地元の産業界との連携をもっと伸ばしていくのも重要な施策である。しかし私が考える最も重要な施策は、世界が俄かにきな臭い状況下になりつつある今日、沖縄の米軍基地を日本の自衛隊がすべて引き受けて、極東アジアの安全保障を日本国として主体的に行動する時が来ているのではないかということである。そのことによって、核に頼らない専守防衛の安全保障体制を確実に実現できるのではないかと思われる。沖縄復帰50年の節目に、地方主権時代の地方自治のあり方を考えてきた私の日本の防衛のあり方として、世界に日本国として自主的な安全保障のあり方を模索した時、沖縄の基地を自衛隊が覚悟をもって守り抜く決意が必要ではないかと考える。