終戦記念日
62回目の終戦記念日を迎えました。毎年この日を境に、日本の将来が今後どのように展開していくのか考えます。
戦後の豊かさの追求と平等教育が本当に良かったのかどうか。戦後の財政的支援ばかりに腐心してきた国際貢献のあり方が本当に正しかったのか。毎年ふりかって見るもののあまり理解の得られるような展開が見られないことは、忸怩たるものがあります。
ところで今日、東京大空襲で犠牲になった方々のための追悼灯篭流しに参列してきました。
毎年8月15日に、旧中川の江東区の亀戸9丁目と江戸川の平井3丁目とを結ぶふれあい橋というところで行われます。今年で9回目になります。本来行政として主体的に行うべきイベントですが、両町会が自主的に行っていることが大変素晴らしいことだと思います。
そして旧中川で亡くなられた3000人あまりの追悼の意を、灯篭に託して平和を願う両区のたくさんの区民が集ってきます。灯篭に書かれた文字には、平和に対する真剣な思いや戦争反対の強い意思が書かれ、流れる灯篭の様子を橋の上から眺めますと、荘厳な感じを誘い込み、集まる区民に平和に対する強い意思を植え込んでいるのではないかといつも思います。
私も戦後生まれで戦争の本当の恐ろしさを知りません。しかし戦争で悲惨な目にあっている中東やアジアの惨劇を現実の映像で見るにつけ、日本の戦時中の悲劇を繰り返してはいけないと思うのは私だけではないと思います。
しかし、とても気になることは、8月15日の新聞やテレビ、あるいは各地で行われている追悼の儀式を見ても、なにか緊張感というか、凛としたものがあまり感じられないことです。取り越し苦労で終わればいいと思いますが、私自身を含めて戦争の厳しさと真実をもう少し真剣に伝える必要があるのではないかと思います。
話は長くなりましたが、いずれにしても政治の間違った流れが、いつも国民を犠牲にしていることを肝に銘じて、衆議院と参議院が与野党逆転しいるこのときに、しっかりとした政策論争を展開すべと考えています。