母から学ぶ政治学
2月1日午前3時43分、母が他界した。
突然の死に気持ちの整理がつかないまま時が過ぎる。
10年ほど前乳がんを患って以来、放射線治療や抗がん剤の治療を繰り返し、
調子が良かっただけにまだまだ大丈夫と思っていた矢先であった。
確かに、ここ数カ月大分息が苦しくなってきていたので心配をしていた。
そんな心配をしている最中、昨年11月に再入院が始まり検査を繰り返し、間質性肺炎で全身に癌が転移していることが分かった。、治療はなかなか難しく、在宅治療かホスピスを選択するしかないように主治医に言われていた。
しかし、持ち前の気力で、24時間酸素吸入しながら在宅で普通に生活ができるようになり正月は自宅にいた。
ところが1月16日に再々入院することになった。呼吸困難に陥ってしまった。
入院して数日後、担当の先生に状況をしっかり聞くことができた。
話の結論は、月単位で命の保証はないとのこと。それ以来いつ来てもおかしくないといわれ覚悟はしていたつもりだが、誰もがそうであるように私も言い知れぬ寂しさが込みあげてきた。
母の人生は波乱万丈であった。ブログでは簡単に書き表せないが、
独りですべての苦労を背負っているような人だった、私が5歳の時に離婚して、兄二人と私の3人の食べざかりの男の子を育てるために、多い時には一日4つの仕事をこなしていた。
まだそのほかにも自ら背負った複雑な人生を、見事に克服しながら77年の人生の幕を閉じた。
苦労性の母にとって幸せな時が来た。私が高校生の時、義父との出会いであった。
大正14年生まれの義父は本当にすばらしい人で、母にやっと本当の春が来た。
そんな母の最大のすごさは、誰よりも人の面倒見の良さである。どんなに忙しくても、ぜんそく持ちでどんなに苦しくても人の心配をしていた。自分と係わった人々の幸せを祈っていた。
母は中学卒で学校には恵まれていなかったが、とても勉強家であった。
新聞に線を引いては、メモ帳に書置きをいつもしていた。心に感じる言葉を大事にしていた。
母の行動のすべてが、今の政治に欠けている点だと、私自身も反省しながら学ばしていただいた。
しかしもう母の生の言葉で教わることはなくなってしまった。
やはりとても残念である。
東日本大震災のことを考えると本当に胸が詰まる思いだが、母の死はやはり何よりも淋しい。
亡き母に感謝しつつ、与えられた立場をしっかり全うしていこうと思う。