集団的自衛権の問題
総理が安保法制懇の報告を受けて、5月15日に記者会見をしてから約1カ月弱になる。
この間、新聞、テレビ、雑誌などありとあらゆるマスコミの報道の中で、果たして日本の憲法の解釈で、集団的自衛権の権利あるけれども行使はできないという今日までの政府の憲法解釈を、誰が、どのような見解で、何故に変更できるか、あるいは変更できないか、様々な議論が展開されてきた。
私自身知ることができる情報をキャッチして、本当に世界の安全保障を平和的に解決するためには、日本がどういう立場に、立ち位置を持つべきか考えてきた。私自身のその結論はまだ確信を得るに至っていないが、この間の議論の中でどうしても違和感を感じるのが一つある。
それは、この議論の中に登場する自公の与党間の議論である。私自身創価大学を出て、その平和主義を尊重し、真の政党政治のありようを模索しながら今日まで政治活動をしてきたつもりであるが、今回の戦後の安全保障の考え方を根本から変更する大事な議論に、自公の与党間の安全運転だけを尊重して、お互いの本来の主張を簡単に妥協しようとする姿勢である。
自民党は、自主憲法を党の政治目標の掲げているのであれば、堂々と憲法改正を正面から勝負すればいいわけで、公明との選挙協力がないと当選できないという現在のジレンマから脱却すべきである。
また公明党も本来の日本国憲法の平和主義を徹底的に守るべきで、そのことによって与党から離脱することのマイナスの要素など、立党の精神に帰って、微塵も心配する必要などないはずである。
それが長い与党生活の中で、完全に本来の立党の精神を忘れていることに残念でならない。
そしてもっとばかばかしいのが、マスコミが与党間の調整の内容だけに興味を持って、20世紀の戦争の歴史から人類が学んだ、人類の英知すなわち平和的な世界の安全保障の在り方を根本から問うているマスコミがないことである。
少なくとも公明党の立場は、徹底した平和主義者でないとその存在価値はないのである。
戦後の安全保障政策を大転換しようとしている今こそ、人間主義に立った本当の政治体制を考えるべきではないでしょうか。