都議選の結果から見える日本の政治風土
7月2日東京都議会議員選挙が終わった。私の56回目の誕生日に、到底お祝いできる気分にはなれないほどの民進党の敗北である。全体の結果は、当初の予想通り、都民ファーストの圧勝であった。選挙のための活動期間が2ヵ月も満たない中でトップ当選した選挙区もいくつかある。一方自民党は、中には地道な政治活動をしていても、23議席しか獲得できなかったことは、歴史的敗北と言わざるを得ないであろう。その原因は、すでにマスコミ各社が発表しているように、森友・加計問題の先延ばし、情報の隠蔽と公平性を欠いた権力の乱用、まったくの説明責任の無さ、安倍一強体制による、国民への不誠実な対応など山ほどマイナス材料がある。加えて稲田防衛大臣の自衛隊法等に触れる問題発言は言語道断であり、2期生の不祥事は、呆れて開いた口がふさがらない状態である。こうした状況を敏感に反応できないぐらい、政権与党は堕落してしまっている。与党といえば公明党は23人全員当選を果たしているが、都議会と国会との自民党との関係が矛盾していることを明確に説明すべきである。創価学会が必死に動けば当選は当たり前である。また共産党が2名現有議席を増やし19名当選したことは、やはり一定の不満層の受け皿に明確に貢献しているといえる。そこは常に主張を一本化していることは分かりやすい。共産党は政治を変革する具体的な勢力に少しづづ近づいて来ていることは評価できるといえる。しかし政治体制の本質をもう少し変革していけばもっと伸びると思われるが、そこは譲らないところにわかりやすさと伸び悩みが交錯している。さて民進党の5名当選だが、民進党所属の議員が、当選が見込めないと読んで都民ファーストに鞍替えした人々が多数いる中で、この逆風のなか信念を貫いて勝利した人々はあっぱれである。心から尊敬したい。またそこに政治の流れが、本当に生活者視点の政治改革を断行できる土壌が残っているように思われる。1993年の細川連立政権以来、政党の離合集散が激しすぎて、その時々の選挙に勝つための世論操作だけが、選挙の必勝戦略として追及されているが、そこには長期的な政治戦略が全く見えてこないし、日本の将来像がまったく不明確である。そのことは世界がグローバリズムからナショナリズムに逆戻りする中で、国家の意思を明確にしていかなければならない時に、非常に時間のロスを起こしている。世界の政治的、経済的不安定な状況を安定化に導ける人は誰なのか、あるいはどこの国なのか。今のアメリカにはあまり期待できない。ヨーロッパも自分のエリアだけで精一杯である。アジアは中国が覇権主義を復活させている。そこでやはり世情が他国より安定していて、戦後70年以上も戦争をしないで平和的に外交交渉に力を注いできた、日本の人間力を、縄文文化から培ってきた狩猟民族と農耕民族の両方の文化をDNAで持つ日本人の度量の広さを、今こそ世界の平和と安定のために示す時ではないかと常日頃思っているが、いまだにその兆しが見えないのが残念である。そこで都議選を総括してみると、自民党の古い政治体制を変革する可能性を見せたことはよかったと思う。しかし地道な政治活動の評価が一般有権者に正確に認識されていないことは大きな不安である。しかしその中でも、政治を真剣に考えている有権者も多数いることが判明しことは大いなる成果であった。これからの大きな政治的課題は、憲法改正を含めた向こう100年の日本の方向性をしっかり示すことである。いつまでも財政構造改革を先延ばしもできないし、少子高齢社会の社会の活力をどのように高めるか、重要な課題が沢山直面している。その実行体制を政治的に決着つける時が、来年の自民党総裁選挙前後になるのでははいかと思われる。これから1年余りが勝負である。