8・15終戦の日に考える
今日72回目の終戦の日を迎えた。約310万人の戦没者を悼み、太平洋戦争がなぜ防げなかったのか、どうして戦争を選択したのか、その責任は誰にあるのか、未だあいまいなところを残している戦後の日本の歴史観にいささか懸念が残る。安倍首相は、政府主催の全国戦没者追悼式で、アジア諸国への加害と反省に5年連続して言及しなかった。不戦の誓いは述べるものの、1993年の細川護熙総理以降、歴代首相がアジア諸国への深い反省や、哀悼の意などを表明して、日本のアジア諸国に対する加害責任に触れてきたが、安倍首相今回もそこには触れなかった。一方、天皇陛下のお言葉には、深い反省と言う表現を使い、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願うと、明確に言葉として述べられている。戦争に突入さざるを得ない国家間の争いの背景に、情報の隠ぺいやごまかし、そして独善的な状況把握が存在することは歴史が証明していることである。しかし日本国の首相として、未だに太平洋戦争の間違いを、真正面から受け止められない姿勢は、世界の恒久平和を目指す、平和憲法を保持した日本国の政治的判断として正しいとは言えないのではないでしょうか。安倍総理は、今年の憲法記念日に、憲法改正について時間を区切って実行していくことを述べられた。しかし過去の戦争の過ちを真正面から捉えられずして、憲法改正の論議はありえないと思う。安倍首相は、森友問題と加計問題で、全く明確な答弁をせずして、幕引きを図ろうとしている。国民は今やそのやり方に大きな疑問を持っていることは明らかである。今北朝鮮がアメリカとの関係で、軍事的脅威を持ち出し情報操作を行っている最中、日本はことさらに極東アジアの不安定な国際環境を取り上げるが、問題は、平和で安定した国際社会を構築することは、どのような手段が最も大事であるかの議論が全く見えないことである。72回目の終戦を迎えて今まさしく重要なことは、正しい情報を国民に提示して、いろんな意味での過ちを勇気を持って認め、終戦の日の8月15日の原点に戻ることではないだろうかと思う。義を見てなさざるは勇なきなり、である。