原爆の日に思う。
8月6日、9日は、広島・長崎の「原爆の日」の記念式典がおこなわれる。
広島では、アメリカの映画監督、オリバーストーン監督が式典に参加され、その前後に、原爆の投下がいかに人類の生きる権利を蝕んだか、どれだけ残酷な行為であるのか、記念館を視察したり、被爆体験の方々からヒアリングしている姿がニュースに流れていた。
原爆がもたらした残酷な事実を、正直に誠実に記録され、後世に伝える重要さを述べられていたことは、本当にありがたいことだと感心した。
今日は長崎の「原爆の日」の式典が行われる。オリバーストーン監督もまた参加される模様。ぜひ本人から、今回の経験から何を表現したいと考えているのか、じかに聞いてみたいと思う。
また、新聞によるとアメリカのルース大使が8日、「米国人だけでなく世界のすべての人たちは広島と長崎を訪れるべき」語り、米大使として初めて、広島・長崎の「原爆の日」記念式典に出席した。
訪問の理由について「犠牲者の敬意を表するとともに、オバマ大統領が目指す核兵器廃絶という課題を前進させるため」述べている。また発言の中で、大統領の被爆地訪問の可能性も指摘していた。
一方で政府は、日本が戦後何よりも大事にしてきた平和主義を、集団的自衛権の行使の権利有無に関する9条の憲法解釈の中で、今日までの政府解釈を変えようとしている。今朝の朝日新聞では、前任の法制局長官が、政府の動きに対して危惧した記事を載せていた。
憲法の拡大解釈が一番恐ろしい。世界の歴史を見ても、政権側にいる権力者が、自分の都合のいいように憲法解釈をして、あるいは憲法改正をして、戦争の道に歩んでいくケースが見られる。
最近私がお会いする日本の戦後を支えていただいた戦争体験者の80歳前後の皆さんは、参議院選挙が終わり、向こう3年間安倍政権は黄金の時代を迎えたともいわれていますが、戦後世代がだんだん政治の中枢に位置するようになり、政治の流れにブレーキが利かなくなることを心配している。
私は戦後世代ですが、政治の流れをずっと見てきた者としても、その点は本当に心配です。
戦後68回目の8月15日を迎えるに当たり、日本国民は、政治家だけではなく、あの戦争の意味と、日本という国の、世界の中での立ち位置を、国民の権利と生命と財産を守る観点から、徹底的に議論するときである。
もう曖昧模糊とした議論はいらないでしょう。
あと2年で戦後70周年を迎えます。その時に、日本の政治も経済も、そして文化も含めた、日本の21世紀のありようを決定づける結論が出せるように、これから徹底的に熟議が必要です。
その時に未来が見えるように、みんなで力を合わせて頑張りましょう。