大義なき衆議院解散総選挙
安倍総理は25日の記者会見で、28日招集の臨時国会の冒頭で衆議院を解散すると明言した。その大義として、2019年10月に10%に引き上げる際の増税分の使い道を変更するために国民に信を問うと言っている。その内容は、本来増収分の4兆円を借金の穴埋めに充て、残り1兆円を社会保障充実する予算として予定していたものを、20年度までに3歳から5歳の幼稚園や保育所費用の無償化、2歳児以下も所得が低い世帯は無償化、また3党合意にはなかった高等教育費の支援などで2兆円を充当するためと言っている。 まず最大の疑問点は、今回の大義として掲げる幼稚園や保育所の様々な掛る費用の無償化は、与野党誰も反対しない内容である。まして、人材育成、人づくり政策は誰もが一番必要だと考える政策である。民主党政権時代の「コンクリートから人へ」の政策はまさしくそのことである。したがって、今回の解散の大義は全く持って不可解で、税と社会保障の一体改革の変更点を充分に与野党で議論すれば済む話である。 それをわざわざ、今ほど北朝鮮情勢が緊迫した時に、衆議院を解散するのは総理自身のご都合主義としか考えられない。ご都合主義とはなにか。小池都知事の言葉を借りれば、森友、加計問題を早くリセットして、総裁3期目の布石を何としても早く打っておきたいと思うからとしか考えられない。 もうひとつの問題点は、近代の立憲政治のあり方を真っ向から否定していることである。そもそも立憲政治とは、市民や社会における少数派の権利を守るために、政府の行動に対し効果的で制度化された抑制を加える政治体制である。すなわち、市民は政府の気まぐれなご都合主義によって、自己の生死を左右されたり、自由が束縛されたりしてはならないということである。したがって三権分立の論理からいっても、行政府の長が立法府の議員の立場を簡単に解任してしまう解散権の行使は、最も抑制しなければならない権利である。 日本の政治は、もはや戦後の日本国憲法が制定された当時の、立憲主義の精神を全く持って失ってしまい、政治家の個人的な利害が優先する、ひと昔前の政官業癒着のご都合主義、しがらみの政治体制に戻りつつある。 しかし、選挙で戦う以上、有権者に政治の本質を理解して頂くために訴えていくしかない。泣き言を言っている暇はない。少子高齢化と北朝鮮情勢を国難と言う前に、日本の政治の劣化を国難と言うべき時である。