終戦の日から78年目に思う
今日、終戦の日から78回目を迎えました。この日は毎年、天皇・皇后陛下をお迎えして、全国戦没者追悼式が武道館で行われています。戦争体験の伝承者は高齢化で段々語り継ぐことが難しくなり、悲惨な体験を見聞きした人も減少し、戦争の悲惨さ・残酷さをしっかりと後世に残すことが厳しくなっています。
今年の全国戦没者追悼式の参列者の内、戦後生まれが初めて4割を超え、配偶者は2人まで減り、子供も5割を下回ったと言われています。どうすれば、もっと世代交代しながら戦争の怖さを語り継ぐことができるのか大きな課題です。
そのヒントは遺族代表の追悼の辞の中に少し見えてきました。そこではロシアによるウクライナ侵攻を踏まえ、「相手の国を武力で制圧、乗っ取ろうという態度を許すことができないと同時に、ウクライナの中にもロシアの中にも遺族が生まれたり、遺児が生まれたりするかと思えば、同じ悲しい、さみしい思いをする家庭が生まれるかと思うと、耐え難い気持ちだ。私たちの戦争を思い出さずにはいられない」と語っています。
つまり日本ではないが、これだけグローバルリズムが叫ばれている中で、あるいは環境問題やエネルギー問題などグローバルイシューが数多く指摘されている中で、現実にロシアのウクライナ侵攻のように今も続いている残虐な戦争犯罪が存在すること。そしてそこには、また多くの遺族や遺児が発生することをもっとリアルに日本のような平和を享受している国々が発信すべきではないでしょうか。
特に日本は、唯一の戦争被爆国として、ロシアのように普通に核兵器使用をちらつかせ、国際社会の秩序を乱そうとしている国が存在することを、もっとその怖さをリアルに表現すべきであり、今こそ日本は、非人道的な核兵器の惨禍を二度と繰り返さないように国際社会に訴えていくべきです。
日常の生活を平和的に日々送れる幸せの背後に、政治の人道的・倫理的判断がいかに大事であるか今一度見直す時が来ていると思われます。それには国民一人一人の政治への監視をもっと強める必要があると思います。国際社会が間違った判断をする前に勇敢な日本人が立ち上がる時ではないでしょうか。