2018.12.23
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平成最後の天皇誕生日に思うこと。


平成最後の天皇誕生日を迎えました。心からお祝いを申し上げたいと思います。私が結婚した年が平成元年、以来妻と共に3人の子供を育て、紆余曲折の人生設計の中であっという間に30年が過ぎました。ベルリンの壁が崩壊し戦後の冷戦構造が終わりを遂げ、新しい世界の秩序が期待された平成の始まりから30年間、世界は逆に、アメリカを筆頭に中国やロシアなど大国のエゴイズムが目立ち、むしろ腫物を触るような緊張感が漂っています。平成30年間の中で、私が最も忘れられない事件は、次男が誕生した平成7年の出来事です。私が新進党の参議院議員の公設第1秘書に就任して初めて国会で仕事が始まった年、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件がありました。自然災害の脅威と極めて卑劣な人災があることの恐ろしさを肌で感じた年でした。以来、世界的な気象変動と北朝鮮の核開発に見れるように人為的な脅威の連続は、世界をますます緊迫した状況に導いています。もう一つ忘れられない事件が、長男と長女がちょうど大学に入学した年、平成23年3月11日に起こった東日本大震災の出来事です。ここでも人類に警告されたことは、自然災害の恐ろしさと、原子力発電の脅威という、人為的な失策により生じた災害の恐ろしさでした。その意味で、平成最後の天皇誕生日に記者会見で述べられた陛下のお言葉には、とても重要な内容が含まれていました。「平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも臨んだ方向に進みませんでした。」のお言葉は、極めて重要で、まさしく世界が今、大変緊張した状況であることを認識され、そのことを大変ご心配をされているということです。そして「平成が戦争のない時代として終ろうとしていることに、心から安堵しています。」と述べられた意味は、平和憲法を死守し、平和を保ってきた日本の政治の努力もご評価して頂いているのではと思われました。つまり、戦中生まれの政治家が、戦争の悲惨さを知っている政治家が自民党にも他党にもいるうちは安心感があったともとれるお言葉です。政治が混乱するときは、権力の暴走が始まったときです。周囲の意見を聞かなくなったときです。今最も恐ろしいことは、アメリカも日本も、国民の声を聴かず、為政者の論理で政治を動かしていることです。議会制民主主義を乱用して、議会を軽視する権力者は、平和を守る強さ、そして心の優しさを失ってしまいます。「本当にこのままでいいのだろうか。」記者会見で述べられた天皇陛下のお言葉には、そんなことをお考えになっていたのではないかと思われました。