終戦から70年の意味
終戦から今日で70年を迎えました。私の地元亀戸の旧中川ふれあい橋では、毎年8月15日に東京大空襲で亡くなられた約三千名の方々の鎮魂の意味を込めて、灯篭流しが行われました。今回で17回目を迎え、毎年規模が大きくなってきていますが、終戦後70年の節目の年になることからか、今日はいつもより一層人出多い感じがしました。
戦争ほど残酷で悲惨なものはありません。戦争体験がない私でも、様々な映像や資料、戦争経験者の体験談から、その非人道的行為は絶対にあってはならないものだと心の底から思います。
しかし、戦争の経験をしていない人が人口の8割を占めるようになった現在、国民の意識の中に戦争の悲惨さが本当に伝わっているのだろうか。戦争がいかに残酷なものであることの実感を感じることができているのだろうかと心配になります。
政治の暴走や間違いを本当に質すことができるのは、選挙権を持った有権者の強い意識です。来年の参議院選挙から選挙権が18歳から与えられる大事な時に、戦後70年の節目の年にしては、戦争の歴史の時代背景や権力の怖さなど、戦争が抱える人間の非人道的資質をしっかり伝える報道が少な過ぎると思われます。
むしろ残念なことは、安倍総理の戦後70年首相談話の文面に対する各新聞やテレビのコメントが、中途半端な解釈で、現在参議院で審議されている安保法案に遠慮してか、言葉の問題ばかり目立ち、戦争の惨劇を繰り返してはならないという信念が背景に感じられませんでした。
新聞によれば、公明党の行動に創価学会の会員が反発しているという情報もあります。もっともです。戦争の悲惨さを一番訴えてきたのが平和の党といわれた公明党です。公明党の歴史は、憲法を改正して軍備を平然と増強することを目指してきた自民党を質すことでありました。ところがいつの間にか政権与党の権力に酔って、その原点を忘れてしまったことに大きな問題があります。地方議会はもっと前からそうなっています。
間違った歴史を繰り返さないためにも、終戦70年の今こそ、戦争の怖さ、残酷さ、戦争に陥る人間の愚かさを正直に語り、次の日本を支える世代の若者に理解してもらうことが大事であると思います。そのためのあらゆる手段を講じることが、そしてそのための予算をしっかり来年度に向けて組み上げていくことが予算編成が始まる今こそ重要と考えます。